不意に『馬』と言われたら、どのような馬を思い浮かべますか?

やはり、すぐ浮かびやすいのは競馬で有名なサラブレッドでしょうか?

スラーっとして引き締まったシルエットのイメージですね。

ところで、この「サラブレッド」とは、外国産のお馬さんなんですよね。

『外国産』という言い方をするという事は・・・?

そうです。

日本という国に昔から居る馬『在来馬』と呼ばれる種類の馬・・・ご存知だったでしょうか?

今回は、その『在来馬』の種類を一覧に纏めてみようと思います。

馬 種類 日本

昔から日本に居る馬の種類一覧

『在来馬』とは、明治時代に外国産の馬と混ぜて品種改良されていない、日本古来からの種の事をいいます。

現在、残っている日本古来からの『在来馬』の種類は全部で8種類です。

大きさは、世界基準での大型と呼ばれる大きさの馬はいない様です。

というよりも、ポニーと呼ばれている、ある意味小型種のような扱いの大きさに当てはまります。

そして、上記の引き締まったスラリとした体格なお馬さんとは裏腹に、『日本在来馬』は、なんとなくずんぐりむっくりな形容詞が似合ってしまう感じの可愛らしいお馬さんが多いです。

大陸にいる外国の馬は、馬車馬などで活躍してきました。

しかし、日本の馬はどちらかと言えば、農耕に携わったり、重い荷物を体に積んで移動するといった、ゆっくり・どっしりと言った感じの仕事をしてくれていました。

多分、そのせいでその様な体形になってしまったのかな?と思ってしまいました。

それでは、順に紹介していきますね。

北海道和種

その名の示す通り『北海道』で生息している在来馬です。

別名「道産子」と呼ばれて親しまれています。

元々は、岩手県に生息していた「南部馬」が、資源運搬の為に使役された後、冬季の間そのまま北海道に置いていかれたところ、なんとか生き延びて適応していって『北海道和種』となったそうです。

日本在来馬の中では、75%を占めています。

特徴としては、体高は125~135cm、体重350~400㎏と記載されており、在来馬の中では大きい方の様です。

毛色は、鹿毛(体全体は茶色っぽく,たてがみや尻尾、足元が黒っぽい)、河原毛(鹿毛より体が薄黄色っぽい)、月毛(体は光沢のある茶色もしくは金色でたてがみと尻尾は白っぽい)、佐目毛(全体が象牙色の様な白)と、結構多種多様です。

北海道を生き抜いただけあって、鍛えられた丈夫な体質を持っており、更には粗食にも耐え、持久力があり、我慢強いが大人しいと言う、まるで「気は優しくて力持ち~」なあの人の様な馬です。

北海道開拓のため、当時は一役買ってくれていました。

今現在は乗馬クラブや、初心者体験の乗馬用等で頑張ってくれている様です。

木曽馬

本州の長野県木曽地域を中心に、岐阜県飛騨地方でも飼育されています。

元々は蒙古の大陸の種類であると言われています。

2~3世紀の頃渡来したとの説があるようです。

木曽の地域は山岳地帯である為、足腰が強靭で体も頑強と言われています。

後ろ足がX状に曲がっている為、横への踏ん張りが利き、山岳の地形の急斜面に適していたそうです。

武士がいる時代では、武士が使う馬としても活躍をしていました。

特徴は、体高135cm前後、体重は350~420㎏で、なんといっても胴が太く脚が短く見えるなんともポッテリした姿が可愛らしいです。

胴が大きいのは盲腸が他の種より少し長く太さも倍ほどある為で、そのおかげで草だけ食べていても生き延びる事が出来るそうです。

そして、肺や心臓も発達している為でもあります。

山岳部の様な場所で生きてきたためか蹄が固く、農耕を手伝ってもらう程度なら蹄鉄を打たなくても大丈夫なのだそうです。

性格は、大人しく人懐っこいとも言われていますが、中には気性の荒い馬も多かったりするようです。

やはり、武士と共に戦ってきたと言う猛々しい遺伝子が入っているのでしょうか?

実は、8種居る在来馬ですが、本州に居る種はこの木曽馬だけなのだそうです。

野間馬

四国は愛媛県の今治市が原産地とされています。

江戸時代に、伊予松山藩が瀬戸内海の島で軍馬を飼育しようとしましたが、うまく行かず松山藩の分家の今治藩に託しました。

今治藩にある野間郷一帯の農家で飼育してもらい、軍馬に適した大きさの馬(体高約121cm以上)を買い取り、適しなかった小さい馬は農民達が使えるように与えてくれたようです。

その農民達の小さい馬が今の野間馬と呼ばれるようになったとされています。

実際のところ、野間馬の特徴は、体高120cm以下となっています。

毛色は、栗毛や鹿毛が多いそうです。

また他には、ずん胴で身体に比べて頭が大きく、前髪やたてがみが多め、関節はやや太めと、一見するとロバのシルエットを馬の様に直したかのようなかわいらしい姿です。

性格は大人しく、また粗食にも耐え丈夫で力持ちで、農耕や荷物の運搬など、よく働いてくれたそうです。

そしてそれ程の重量でなければ、蹄鉄も打たなくても大丈夫なほど、蹄は固いです。

特に、愛媛の名産のみかんの畑でも作業を手伝ってくれていました。

ですが近代化や、明治時代の小型馬の生産や飼育の禁止などで徐々に姿を消してしまい、昭和47年には、なんと5頭まで減ってしまいました。

昭和30年代には、原産地の今治市には1頭も居なくなっていました。

昭和53年に、ご自身の育てている野間馬を4頭を野間馬の故郷という事で、今治市に寄付してくれた方が居ました。

今治市では、その4頭をもらい受け、「野間馬保存会」を発足し「ふる里の宝」として、地域全体で大切に増やしていきました。

「野間馬保存会」は『野間馬ハイランド』を主催し、平成27年の資料では48頭まで飼育されるまで回復しているそうです。

対州馬・対馬馬

九州の長崎県対馬で生まれ育った馬です。

対馬の地形は、標高200メートル以上の山地のため坂道がかなりたくさんあります。

そのため、対州馬は坂道をモノともしない屈強な身体能力を備えています。

蹄も頑丈ですので、蹄鉄を打つ必要がないそうです。

体高は130cm前後の記載が多く、日本在来馬の中ではちょうど中間ぐらいの大きさでしょうか。

見た目も前述にある3種よりは、ずんぐりむっくり感が少なく、山道での利用が多かった為の改良で胸幅が狭いからか、前述の在来馬の中では普通にスリムなお馬さんに見えます。

とは言っても、馬と言う種類の中ではやはり在来馬は小さい事と、性格も大人しく穏やかな事もあり、女性にとっても扱いやすい為、対馬島の飼育や作業は女性が中心だったそうです。

しかし、やはり対州馬も例にもれず明治以降の西洋馬の導入や、近代化のため頭数が減ってしまいます。

対州馬は在来種の中でも飼育数が少なく、近年の発表では38頭との報告です。

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御崎馬

九州の宮崎県串間市にある都井岬の地にて放牧されています。

元禄10年(1697年)に設置された藩営牧場の一つであった御崎牧(現在の都井岬)が、300余年もの間、開設以来「周年放牧」と言う方法の租放の放牧で飼育されているそうです。

簡単に言えば、ほったらかし状態ですね・・・。

つまり、繁殖から育成は全て自然なまま行われて来ました。

ある意味、自然の過酷な環境を生きてきたため、粗食に耐えれるし、体質も強く岬という場所柄なため斜面が多い土地に適して発達した後躯を持っています。

体高は130cm内が多く、毛色は鹿毛、黒鹿毛や青毛(かなり黒色に近い青色)、河原毛がメインです。

御崎馬としての特徴としては、古代種の馬によくみられる鰻線という背筋にウナギのような黒くて細長い異毛色が有り、また足首が黒いというものが挙げられます。

また、他の在来馬と少々違う点として、農耕馬としての使用目的ではなく、幕藩体制での要人の使用目的であったためか、足が細い特徴があるようです。

確かに見比べてみると対州馬より更に、スラっとした姿に見えます。

トカラ馬

九州は鹿児島県の屋久島の更に南下したトカラ列島の小さな島、十島村にて飼育されていた在来馬です。

実は、キチンと確認されたのは1952年なのです。

トカラ列島の宝島にて大学教授によって公表され、そこで『トカラ馬』と名付けられました。

明治中頃に、更に南下した場所の喜界島より移入したとも言われています。

体高が100~120cmと在来馬の中では最小クラスで、毛色は鹿毛色や黒色を中心として赤茶や栗色です。

見かけは、在来馬の中でも特にナンとも不思議な感じのするお馬さんで、やはり農耕や運搬に活躍していたようでずんぐりむっくり感が可愛らしいです。

南の島の馬なので暑さには強いそうです。

教授によって宝島で発見された頃は43頭との報告でしたが、トカラ馬もやはり前述の理由で頭数が減ってしまい、宝島自体での維持が困難となってしまいました。

それを受け、鹿児島県本土の開聞山麓自然公園と鹿児島大学農学部付属入来牧場へと移されました。

宝島には数頭残していましたが、1頭まで減ってしまった為に同じトカラ列島にある中之島へ移し、本土から更に数頭戻して繁殖に成功したようで、2007年には10頭まで増えたそうです。

開聞山麓自然公園では放し飼い展示されているそうで、現在約60頭に増えているそうです。

宮古馬

沖縄県宮古島市にて飼育されてきた在来馬です。

沖縄では昔から小型の馬を飼育していたようで、14世紀頃には中国への主な輸出品とされていました。

体高は110~120cm前後で、毛色は鹿毛が多い様ですね。

琉球王朝時代の公用馬だったり、サトウキビ畑等の農耕馬として親しまれていました。

やはり宮古馬も、性格も穏やかで飼い主さんによく懐き、粗食に耐えることが出来、また蹄が固いのでサンゴ石で出来た道路などにも適していたそうです。

しかし、宮古馬も同じく近代化によって数が激的に減ってしまいました。

一時期は、絶滅寸前まで行ってしまいましたが、宮古馬保存会の活動のお陰で徐々ではありますが、増えてきたそうです。

2016年の報告では、48頭まで増えてきたそうです。

宮古馬牧場や荷川取牧場等をメインとして飼育されているそうです。

実際見学した方のレポートを見ると、柵の方まで興味深げに寄ってきたりしてくれるお馬さんも居るそうで・・・本当に人懐っこいみたいですね。

与那国馬

日本西端の島、沖縄県の与那島で飼育されてきた在来馬です。

先述の宮古馬と同じ起源種ではないかと考えられているそうです。

そのことからも身体的特徴も似ていて、体高110~120cm前後、そして毛色は鹿毛が中心との事です。

与那国島は丘陵地と呼ばれる穏やかな丘や小山が多いので、農耕馬として以外に乗用や運搬にも一役買ってくれていました。

また、琉球王朝時代から続いていた沖縄伝統の琉球競馬にも用いられていました。

ちなみに、琉球競馬は俗にいう速さを競うのではなく、美しさを競うという世界でも稀な競馬の様です。

与那国馬は、今まで紹介した在来馬とは違い、絶滅級に数が激減するという事は無かったようですが、それでもやはり一時期は50頭ほどまで落ち込みました。

しかし、ここでも保存会が結成され、近年では120頭ほどまで増えているそうです。

現在では、与那国島の東、北、南牧場で育成されています。

まとめ

在来馬の特徴で、ほぼ温和で大人しく、粗食に耐えて、体も蹄も強く・・・と説明が付いていますよね。

日本の在来馬は、基本農耕や運搬を手伝ってくれている存在だったので、家族の一員として一緒に苦楽を共にして働いてくれていたんでしょうね。

在来馬は昔の様に農耕や運搬では活躍の場は失ってしまいましたが、現代では乗馬やふれあいの場、もしくはホースセラピー等癒しの存在として活躍してくれています。

その穏やかな性格は、子供さん達が触れ合ったりするにも、勿論大人の方が初めて触れ合う時でも、とても適していると思います。

私たちと同じく、日本に昔から居て一緒に暮らしてきた在来馬に、機会が有れば是非触れ合ってみて下さい。

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