皆さんは、高崎山の猿を知っていますか?
高崎山の猿は、大分県大分市にある高崎山自然動物園に生息しています。
高崎山自然動物園は、野生の猿に餌付けをしているので、猿を自然の状態で見ることが出来ます。
動物園の猿山とは違い、オリもないので私たちのすぐそばまでやってきます。
猿はおとなしく、小さい猿から大きい猿まで安心して間近で観察出来るので、観光客に人気のスポットです。
なぜ高崎山にいる猿を、餌付けするようになったのでしょうか?
高崎山の猿の歴史や、ボス猿の特徴などを調べてみましたので、これから説明していきたいと思います。
高崎山の猿の歴史は?
高崎山の猿の歴史についてですが、高崎山には戦国時代ぐらいから野生のニホンザルが住んでいました。
明治時代末期になると、猿の数は約600頭になりましたが、大正時代に山火事が発生し猿の頭数が一気に減りました。
その後昭和15年には100頭まで持ち直し、終戦直後には200頭程度まで数が増えました。
数が増えると今度は、農作物の被害が多発して深刻な問題になりました。
狩猟で猿の数を減らそうと試みましたがあまり効果がなく、当時の大分の上田保市長が増えた猿たちを観光資源として役立てようとして、そこから猿の餌付けが始まりました。
猿に餌付けを開始したのが昭和27年で、その次の年に高崎山自然動物園が開園しました。
同じ年に高崎山が阿蘇国立公園に指定され、高崎山の猿の生息地が国の天然記念物になりました。
高崎山自然動物園が開園した初めの頃は、猿の群れはひと群れしかありませんでした。
頭数も220頭でしたが、数がだんだん増えてきたのでそこから群れが分裂して、A群B群C群と構成されるようになりました。
今現在はB群C群が、山から下りてきて交代で猿寄せ場を利用しています。
A群は群れ同士の抗争に敗れてからは、猿寄せ場に姿を見せなくなりました。
平成29年の調査ではB群が642頭、C群が588頭、合計で1230頭いる事がわかっています。
高崎山の猿のボス猿は?
高崎山自然動物園のボス猿といえば、ベンツが有名です。
ベンツは現在亡くなってしまいましたが、100歳を超えるボス猿で、生前は数々の伝説を残しました。
最年少の推定9歳でボス猿になり、2つの群れでナンバー1になったのは、ベンツが史上初なのです。
ベンツは身体がとても大きく、貫禄もあるのでドイツの自動車にちなんで名づけられました。
喧嘩が強いので、実力でリーダーに伸し上がりました。
猿の群れは、A群B群C群と構成されていますが、最初はB群を束ねるαオスと呼ばれるボス猿でした。
しかしベンツはC群にいたメス猿に恋をして追い回すようになり、やがてB群から離れていきαオスの座を追われる事になりました。
その後C群に移ったベンツは再び頭角を現し、2000年にはナンバー2になりました。
そしてベンツは、最大の群れのA群とC群の抗争の中心となり、C群が勝利し功績を残しました。
2011年にベンツはC群のαオスに就任しました。
就任した時は推定33歳で、人間でいうと100歳を超えます。
その後行方不明になり大きな騒動になりましたが、大分の市内で発見されました。
数カ月後に再び失踪し、それを最後に姿は見せる事はありませんでした。
高崎山では、1カ月以上姿を見せないと死亡認定されます。
ベンツは推定35歳で亡くなったと認定されました。
まとめ
人里に下りてきて危害を加えていた猿を、観光資源として注目した事が、現在の高崎山自然動物園の原点なのですね。
現在の高崎山自然動物園のボス猿ですが、B群はナンチュウ、C群はブラックです。
ベンツはボス猿の中でも特に別格で、これからも高崎山のボス猿として人々の記憶に残るでしょう。